東京地方裁判所 昭和41年(特わ)142号 判決 1969年5月31日
主文
被告人黒田千吉郎を懲役四月に、同吉野勇を罰金三万円に、同新井靖明を罰金五万円に各処する。
被告人吉野勇、同新井靖明において右罰金を完納しないときは、それぞれ金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
但し、被告人黒田千吉郎に対し、本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人三名の連帯負担とする。
理由
(本件の経緯並びに罪となるべき事実)
被告人黒田千吉郎は、昭和七年九月、共同印刷株式会社(以下単に共同印刷という)に入社し、途中軍務に服したこともあったが、昭和二一年四月復員して同社に復職したのち、昭和三三年一月営業担当取締役に就任し、昭和三六年頃には社長席役員室において営業関係を担当するようになり、昭和三七年一〇月一日、同社の機構が改正されて事業部制が施かれるや、外国課を含め管掌する第二事業部長として同部の最高責任者の地位にあったもの、同吉野勇は、昭和三五年二月頃、右共同印刷に入社して社長席嘱託となったが、昭和三六年二月頃社長席渉外室参事として右黒田の下で外国出版社及び商社との営業を担当し、同社の機構改正に伴って第二事業部の外国課長に就任して引続き同様の業務に従事していたもの、同新井靖明は、昭和三八年一月初め頃、共同化工株式会社(以下単に共同化工という)に入社し、第二営業部化成品課の課長代理としてプラスチック製品の食器類や、複製画絵等の国内、国外に対する販売等の業務に従事していたものである。
ところで東京都千代田区神田美土代町二四番地に本店を有し、機械器具、工具類、化学製品等の国内販売並びに貿易業を営む一華産業株式会社(以下単に一華産業という)は、昭和三六年秋ないし初冬頃、オーストラリヤの商社から英文一〇吋のビニール製地球儀の注文を受けたが、同社ではこれに関する業務を同社員の的場宗明に担当させることになり、同人はまずビニール製地図の印刷が技術的に可能であるか否かを共同印刷に問合せたところ、共同印刷においてはビニール印刷のパテントを持っていてその受注に応じ得るとの回答をなしたことから、被告人吉野の部下でこれを担当していた鈴木尚美と知り合い、以後本件について両名は緊密な交渉を持つに至った。そこでまず地球儀用地図の原図の作成方を海上保安庁水路部の係官に依頼し、右原図は昭和三七年一月中旬頃までに完成したので、一華産業ではこれに基づき共同印刷に対しビニール製地球儀五、〇〇〇個の印刷を発注し、同年三月頃には試作品が出来上ったが、その頃たまたまこれを見た国土地理院技官(当時)池田正友から、右試作品は国の形状、国境、航空路が事実と相違する等極めて杜撰なものであることを指摘されたため、原図を改めて製作し直すこととなり、同技官にその原図の作成方を要請し、同技官もこれを承諾した。池田正友は、その地球儀の用途に従い、自己の学識、経験に基づいて諸種の資料を参考としながら、そこに表示されるべき各種の素材を取捨選択したうえ、これを編図した原稿図を作成し、その製図をかねて知合いの川俣潔に依頼して同年六、七月頃右製図原図が完成するや、共同印刷ではこれに基づいて数千部のビニール製地球儀用地図を印刷した。
ところが前記的場は、本件地球儀の件に関し社内で次第に冷遇されているような感じを抱くようになり、むしろ一華産業でこれを販売するよりは、知人が経営し将来自分も役員に迎えられるという太平洋商事会社の手を通じて販売するに如かずと考えるに至り、同年七月下旬ないし八月上旬頃、その方策の一環として鈴木にその意向を打ち明け、かつ共同印刷から一華産業に対し、注文にかかるビニール製地球儀の印刷は技術的に困難であることを理由として解約するよう要請し、さらに同年八月中旬頃、被告人黒田に対しても同郷のよしみを通じ、料亭で饗応する等の手を尽くして同様の協力方を要請した。その結果被告人黒田及び鈴木は的場の右要請を容れ、同年一〇月中旬頃、一華産業社長山田雄造に対し、注文にかかるビニール製地球儀の印刷は技術的に困難である旨を口実として解約の申入をなし、これを信じた山田はやむなく共同印刷が二四〇万円を支払うことを条件としてこれに応じた。しかるに被告人吉野は同年一二月上、中旬頃、偶然の機会から右の経緯を知って驚き、一華産業に対して示談解決方の申入れをなし、折衝のすえ昭和三八年二月一五日頃、すでに印刷ずみの在庫品はすべて一華産業に引渡すこと、契約は解約前の状態に復帰すること等を内容とする示談が一応成立したが、前記原図及びその写真原版はそのまま共同印刷において保管していた。
一方被告人新井は、昭和三八年一月下旬頃ないし二月上旬頃、共同印刷が一華産業より前記地球儀の印刷を受注していることを知るや、自己の所属課の業績を上げるためこれと同種の地球儀を販売しようと考えた。しかしそのためには同年四月に開催される国際見本市に出品することが有利であり、これに出品するには新しく別個の原版を使用する時間的余裕がないことから、窮余一華産業の受注にかかる右地球儀用地図の原版を使用することを考え、同年二月下旬頃、被告人吉野や鈴木にその旨を要請し、その要請の趣旨は鈴木から被告人黒田にも伝えられた。被告人黒田及び吉野は当初これを拒否したが、鈴木からの上申と共同加工幹部からの重なる要請により、同被告人らも結局これに応ずることに決し、ここに被告人ら三名及び鈴木は相互に意思を通じ合ったうえ、池田正友が創作した前記世界地図の原図並びにそれに基づく写真原版をほしいままに使用し、同年四月九日頃から同年五月二九日頃までの間に、東京都文京区小石川四丁目一四番一二号所在の共同印刷において英文一〇吋地球儀用世界地図約二万二、〇〇〇部を印刷し、もって前記世界地図のうえに有する池田正友の著作権を侵害して偽作を遂げたものである。
証拠の標目≪省略≫
(法令の適用)
被告人三名の判示所為は、著作権法第三七条、刑法第六〇条に該当するところ、被告人黒田に対しては所定刑中懲役刑を、同吉野、同新井に対しては罰金刑をそれぞれ選択し、その刑期又は金額の範囲内において、被告人黒田を懲役四月に、同吉野を罰金三万円に、同新井を罰金五万円に各処し、被告人吉野、同新井において右罰金を完納しないときの換刑処分については、刑法第一八条第一項によりそれぞれ金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置し、被告人黒田に対しては、同法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して被告人三名の連帯負担とする。
(弁護人の主張に対する判断)
一、各被告人の弁護人は、
(一) 一華産業の注文によって共同印刷が印刷加工した英文一〇吋ビニール製地球儀の世界地図(以下一華地図という)は著作権の目的となるべき著作物には該らない、
(二) 仮に右一華地図が著作権の目的となるべき著作物であるとしても、その著作権者は池田正友ではなく川俣潔であって、しかも川俣からは何ら告訴手続がされていないので、被告人らを処罰することはできない、
(三) 被告人らは、いずれも一華地図について池田正友が著作権を有するとは考えていなかったし、また同人の著作権を侵害するという認識はなかったから、故意を欠き刑事責任を負う筋合いはない、
と主張する。
二、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
(一) 一華地図が著作権の目的となるべき著作物に該当しないとの点について、
一般に地図は、著作権法第一条にいう図面に含まれ、学術的又は美術的著作物として著作権の目的となり得ることは、現在ひろく認められているところである。もっとも地図には、いわゆる実測地図と既存の地図を資料として編集した編集地図の二種類が存し、このうち実測地図が右にいう著作物に該当することについては異論を見ないとしても、編集地図については、なお異論がないわけではない。しかしながら編集地図であっても、既存の地図を資料とし、何人にも容易に着想し得るようなありふれた修正、増減を加えたものは格別、これと異り既存の地図を資料としつつも、編図者の精神的労作に基づく思想感情が独創的に具体化された学術的又は美術的著作物と認められるにおいては、著作権の目的たり得るに何ら妨げはない。
ただ地図は、他の著作物と異り、地球上の自然的又は人文的諸現象の全部又は一部を、ある物体の表面に一定の縮尺をもって、予め約束された特定の記号を用い客観的に表現したものであって、地図上に表現される陸地、山脈、河川湖沼、島嶼等の自然的現象或いは国名、国境、都市、鉄道、航路、航空路等の人文的現象は、それを個々的に見ればいずれも自然科学的又は準自然科学的な認識の対象となり得るものであり、これらの諸現象自体は、著作権の目的となるべき価値は存在しないものと思料され、また地図は前記のように各種素材を表現するにつき、予め約束された特定の記号を用いるのであるから、その表現形式は相当の制約を免れないところである。右のような地図自体の特異性に鑑み、一般の文学、図画等の著作物に要求されるような意味での独創性をそのまま当てはめることは必ずしも当を得たものとはいえず、むしろ地図の場合は、その独創性の有無を判断する基準は、素材の個々(例えば海流とか鉄道路線の如き)について、従来と異った新しい表現がなされているか否かを考察する以上に、そこに表現されている各種素材の取捨、選択の内容と、その注記の表現方法を総合的に観察して、独自の創作性が認められるか否かに重点をおいて求めるべきものと解する。なおこの点に関しては、改正著作権法案第二条では、著作物を思想又は感情を創作的に表現したものと定義しているが、現行法による著作権の意義を理解するに当っても参考となろう。
これを要するに、地図特に編集地図の場合には、編図者が既在の地図を資料として参照しつつも、自己の学識、経験に基づき、その用途に応じ縮尺の大小に従い、各種素材をその目的に適うよう自らの判断により取捨、選択したうえ、一定の物体の表面に集輯結合して表現し、他の類似の作品と対比して区別し得る独自の創作性を有する学術的又は美術的作品を創造したと認め得られれば、その者の精神的労作に基づく思想的感情が独創的に具体化されているということができるのである。
いまこれを本件について考察するに、一華地図は、編図者において他の既存の地図を模倣したとか、或いは何人にも容易に着想し得るようなありふれた修正、増減を加えたにすぎないものとは認められず、かえって編図者たる池田正友の多年蓄積された学識、経験に基づいて、各種素材の地図の目的に適うよう適宜取捨、選択してこれに応じた英文の注記を表示したものであって、その全体を総合的に観察すれば、他の類似の作品と対比して区別し得る独自の創作性を有する作品であると認められる。
弁護人は、一華地図の実体はビニール一〇吋地球儀であって、伸縮性を有して固定しておらず、安定性を欠き、またその用途も一〇吋の英文のものであるから、我が国においては一般家庭の装飾品として役立つ程度のものであって、学術的又は美術的著作物とは認められないという。
たしかに本件地球儀はビニール製のものであって、ゴム風船のように内部に空気を充満させることによって直径一〇吋の球状となって地球儀の形状を備え、空気を抜けば平板となって折りたたむことが可能である。しかし地球儀である以上内部に空気を充満して球状となったものについて検討するのが相当であり、これによれば多少の伸縮性は認められるにせよ、地図としての価値に影響を及ぼすような変化はないものと認められる。また本件地球儀の用途は、家庭における一般教育を目的としたものであること判示のとおりであり、事実その目的に適う学術的作品と認められ、単なる装飾品にすぎないとはいえない。
ただ鑑定人渡辺光作成の鑑定書によれば、一華地図は、この種の作品としては一般的水準に達し、特に世界地図は類似品の優秀なものに比して遜色なく、良心的な作品であって個性を有することを認めつつも、独創性については、「作者が作成に当って、作成手順及び成果の内容を何らかの創意で案出して得た成果品であって、しかもそれが在来のものに比して容易に認定し得る相違点と望むらくは改良点が認められるもの」と定義づけたうえ、各素材並びに全般的な構図について独創性ということについては大いに問題があると結論づけ、結局その独創性という点の評価については消極に解している。しかしながら、同鑑定書においては、地球儀地図としての最大公約数の性格を具備するよう努めるならば、独創性を発揮し得る余地は極めて少いとか、主題図を除いた一般地図について独創性という点については問題点があるとか、地図が文学、美術等の作品や新案の物品と異なり、版権問題に未解決の部分が多く残されている旨指摘しているのであって、これらを通観してその趣旨を忖度すれば、地図が著作権の目的となり得る場合の要件をかなり厳しく限定していて、特に地球儀の地図については基本的には著作権の目的となり得ることにつき消極的な態度で臨んでいるやに窺われないわけではなく、前示のように著作権の目的となる著作物の範囲を広げる傾向にあると思惟される改正法案の態度(これは同時に著作権に対する現代のすう勢を示唆するものといえよう。)と対照的で、当裁判所がさきに説示したところとはやや異った観点に立つものと思料され、いまにわかに同調し難い。
以上のような次第であって、一華地図には編図者の精神的労作に基づく思想感情が独創的に具体化されているものであって、著作権の目的たり得る著作物ということができる。弁護人のこの点に関する主張は理由がない。
(二) 一華地図の著作権者は池田正友でなく川俣潔であるとの点について、
証人池田正友、同川俣潔の各当公判廷における供述を対比しつつ併せて考察すると、池田正友は、山田雄造から英文一〇吋ビニール製地球儀用地図の作成方を依頼されるや、その地球儀の用途が家庭における一般教育的なものであること、形状は右のように英文一〇吋ビニール製地球儀であるところから、その目的に適うよう平素より蒐集していた各種の資料を参照としつつも自己の蓄積した学識、経験に基づき、そこに表現すべき各素材を独自の判断と責任において取捨、選択したうえ、半島、岬、島嶼、河川湖沼、海洋、海流、海深、国名、首都その地の都市名等については、自ら地名原稿を作成し、国境線、鉄道路線、航路、航空路等については自ら選択したところにより具体的に表示し、陸地線、海岸線等については資料を川俣に渡してその描写、表現方法について具体的に指示し、国別の色の選択や配色は自らこれを行なう等して川俣に製図せしめ、さらにその原図に対しても自ら手を加えて詳細な校正を行ないもって原図を完成したものであって、川俣は製図家として池田の具体的指示により、その補助者的立場に終始していたものであることが認められる。もっとも証人川俣潔の供述によれば、池田の示した原稿図や指示は簡単なものであり、製図のための原図ではなく、地形、海岸線等も立派でないので、自分が所持していた資料を参照し、自らの判断で独自に製図した等という部分もあって、証人池田正友の供述とかなり相違する点が見受けられる。しかし両証人の経歴と過去における業績等からその供述を比較検討すると、川俣が池田から依頼を受けて製図するに当り、或る程度の裁量を用いた事跡は窺知し得るにしても、その供述の如く重要な基本的部分について独自の判断に基づき原図を完成したとは認められず、前示の如く池田の補助者的立場にあったというべきである。また共同印刷では、一華産業との話し合いに基づき二五万円(但し、手取額は一六万円)を手交しているが、その趣旨を仔細に検討すると、あくまでも製図代であって著作権の存在を前提とした印税等でないことは明白であるから、この事実が存在するからといって右認定を左右するに足らないし、弁護人らが引用する昭和三九年一二月二六日東京地方裁判所判決は、本件とその事実関係を異にし適切ではない。以上の次第であって、一華地図の著作権者は池田正友であり、川俣潔には存しないといわなければならない。
また弁護人は、本件地球儀は英文であるにもかかわらず万国著作権条約によるなる表示が附されておらないから米国における著作権を放棄しているのであって、このように主たる英語使用国である米国における著作権を放棄していることは、もともと著作権の保護を受ける意思が存在しなかったものであるとか、池田正友はその作品に自ら監修者である旨公然と表示しているから、著作権を放棄したものと認めるべきであると指摘する。
しかし仮に弁護人の指摘するように万国著作権条約によるなる表示が附されておらず、米国において著作権の保護を受けないとしても、その一事をもって我が国において著作権の保護を受ける意思が存在しないとはいえないし、また池田正友が本件地球儀に自ら監修者と表示したラベルを添付したからといって、著作権を放棄したと認めることはできない。この点は証人池田正友の当公判廷における供述によっても明らかである。
従って弁護人らのこの点に関する主張も理由がない。
(三) 被告人らは、一華地図の著作権者が池田であったとは思料せず、同人の著作権を侵害するという認識は存在しなかったとの点について、
しかしながら、≪証拠省略≫によれば、被告人らが本件一華地図は、池田正友が編集及び監修を行い、一華産業がその版権を有していること、そして被告人らにおいて右池田及び一華産業に無断で、その原図及び写真原版を使用して世界地図を印刷するものであること、をそれぞれ認識していた事実が明らかである。従って被告人らが本件犯行に及ぶにつき、犯意がなかったとはいえない。弁護人のこの点に関する主張も理由がない。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤暁)